モナコマイスターの謎解明?

モナコGPの時期でもありませんが、高齋正さんのコラムにそんな話題があるのを見かけたので、備忘録的に。
http://homepage2.nifty.com/ALC/kousai-eassay-7.htm

 

モナコ・マイスターの初代はグラハム・ヒルだ!そしてセナがその名を引き継いだ!みたいなことが日本(の報道やWEBサイト)では主流の認識になっているように感じますが、この「モナコマイスター」という語は、古舘伊知朗のTV実況で初めて聞いたような気がするので「古舘語録だよね?」と思っていました。この言葉は、フジテレビのF1中継の中で、セナを指し示すために作り出されたキャッチコピーであるという認識です。まあ、少なくとも古舘伊知朗のTV実況が始まる前の書籍には、見たことの無い表現ではあります。
なので、主に1960年代に活躍していたグラハム・ヒルについて、「ヒルはモナコマイスターと呼ばれていた」みたいな表記やTV放送を見るたびに、言いようのない大きな違和感を感じていたのです。「それって、歴史のねつ造じゃないの?」と。

引用:

前にアロンソのことをモナコ・マイスターと呼んだが、グレアム・ヒルがモナコに何回も優勝した時には、ヒルのことを誰もモナコ・マイスターとは呼ばなかった。ヒルの伝記の1冊のタイトルが『ミスター・モナコ』である。

ライターの記事は契約終了とともに消えてしまう可能性があるので魚拓も。
http://homepage2.nifty.com/ALC/kousai-eassay-7.htm の魚拓

これを読んで、やっぱりケメ子の記憶(というか感覚)は正しかったのかも知れない、と思って少しホっとしたのでした。やっぱり古舘語録だよね?

 

2011/2/28追記:

「モナコマイスター」の検索語からこのページへのアクセスが幾つかあったので、補足しておきます。

「古舘以前」の日本語の書籍では、ヒルのことを「ミスター・モナコ」以外に「モナコの王」とも言及しています。
「モナコの王」など、こなれているとは到底言いがたい日本語表現ですが、これは当時のレースレポートが基本的に、海外の記者(主にイギリス人)が書いたものを和訳したものだったからでしょう。
英語で書かれた書籍やWEBでは、当時も今も、グラハム・ヒルを"Mister Monaco"や"King of Monaco"と呼んでいます。

日本初のレース雑誌であるオートスポーツは1964年、対抗のオートテクニックは1969年の創刊だそうです。モータースポーツというものが日本ではまだまだマイナーで、海外レースを自ら取材する日本人記者も皆無に近い1960年代に、海外のレーサーについて日本独自の呼び名が生み出され、それが定着するというのも不自然な話に思えます。こういう時代の状況を考えると、ヒルが現役だった時代に、ほぼ日本語圏でしか見ることの無い「モナコマイスター」という言葉が存在したとは、どうにも考えがたいのですよね。実際、当時の書籍にもそのような表現は見当たらない訳ですし。

私自身は1960年代にはまだ生まれておらず、ヒルの現役時代をリアルタイムで見ていたわけではありませんがね。

なお、日本のレース専門誌に掲載される海外レースの記事は、1980年代の後半まではF1も含めて外国語から翻訳されたものが一般的でした。その当時、F1を含めて海外のレースを追いかけて取材する日本人ライターはほぼ皆無だったからだと思います(カメラマンならば間瀬明さん、ジョー・ホンダさん、金子博さんなど、数名はいらしたはずですが)。

 

2012/5/22追記:

モナコGPが近いせいか知れませんが、「モナコマイスター」の検索語からこのページへのアクセスが増えてます。古舘伊知朗がF1実況を開始した直後あたりの雑誌(オートスポーツ・1991年2月15日号)を見つけたので、参考までに。

グラハム・ヒル

グラハム・ヒル (Photo credit: kemeko1971)

グラハム・ヒル

グラハム・ヒル (Photo credit: kemeko1971)

見ての通りグラハム・ヒルは「ミスター・モナコ」であって、「モナコマイスター」ではありません。記事にはマイスターのマの字も出てきません。

ただ、この記事の書かれた頃、TVで古舘氏が、プロレス実況よろしく、セナのキャッチフレーズとして「モナコマイスター」と連呼し、ついでに「『初代』モナコマイスターはヒル!」とのデタラメを叫んでいるのを、そうと知らずに見て育った子供たちが今では記事を書いているのでしょうから、ヒルがモナコマイスターと呼ばれていた、ということがいつの間にか事実とすり替えられてしまったのでしょう...。
 

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