とっても古いF1の話(ターボ禁止のあたり)

1000馬力を超えるパワーを誇った1500ccターボ時代のF1ですが、パワーが抑制され最終的に3500ccの自然吸気化されるまでの流れを、手持ちの各年度版Autocourseを中心に、簡単にたどってみました。

1984年8月
FISA、オクタン価制限(燃料規定による制限)によるパワー抑制を検討中と発表
 
1985年7月
FISA、排気量を1500ccから1200ccに縮小することを提案
 
1985年10月
フェラーリなどの反対を受け、1990年まで1500ccターボを継続することにFISAが合意
 
1986年5月
(エリオ・デ・アンジェリスの死亡事故発生)
アンジェリスの事故を受け、FISAが緊急的にパワー抑制プランを表明。
大きな目標として、1987年2月1日までに、予選/決勝を問わず600馬力を目指す。
パワー抑制の方法には、リストリクタまたはポップオフバルブの採用が有望視される。
 
1986年7月
BMW、F1からの撤退を発表
 
1986年7月
FISA、1989年に向けてのパワー抑制案を2案発表。内訳は以下:
1. 排気量1100または1200ccのターボエンジン
2. 排気量3500ccの自然吸気エンジン
 
この2案について、参戦チームは3500ccの自然吸気を好む傾向にあった(Autocourseによる各チームへの取材)
 
1986年9月
ルノー、F1撤退を発表
 
1986年10月
FISA、1989年に3500cc自然吸気エンジンへの完全移行を発表。
1987年より3500cc自然吸気エンジンの参加を認めることとし、経過措置としてターボエンジンの最大過給圧を以下のように決定:
1987年=4バール / 1988年=2.5バール / 1989年以降=ターボエンジンの禁止

ここまでの流れを見ると、日本でよく言われる「ホンダつぶしのためにFISA会長のジャン・マリー・バレストルが自然吸気化を強引に推進した」という評価は、実態とは少々異なるのではないかなと感じます。

制限案が出始めた1984年はまだBMWやTAGが全盛の頃、最初の具体案が出た1985年7月はTAGとフェラーリがチャンピオンを争っていた頃です。ホンダはまだ有力なコンテンダーではありませんでした。

そして1986年、アンジェリスの死亡事故を受け、パワー抑制のためにエンジン規則を変更することは必須の状況になりましたが、そこでBMWとルノーが撤退を発表してしまいました。
この2社が各プライベーターへのターボエンジン供給を行っていたわけで、この2社が無ければプライベーターの多くが参戦できなくなり、F1が維持できないことは容易に想像がつきます。

そんな訳で、このような状況下では3500cc自然吸気化は必然の選択だったかなと思います。3500ccエンジンはコスワースが広く供給可能と発表し、現にプライベーター向けにDFZを供給しましたからね。

また、ターボ禁止までの流れでよく話題になる、バレストルがホンダの桜井淑敏氏に「F1にイエローは要らない」と発言したということも、英語圏の記事にはまず見かけないのですよね(Googleで"Balestre" "yellow" "Formula 1"をキーワードに検索を掛けました)。日英以外の言語は分かりませんので、これ以外の言語のことは分かりませんが。

フランス人のバレストルがそのような発言をしていれば、イギリスあたりのプレスが記事にしてバレストル叩きをしてもおかしくないような気がするので、全く記事が見当たらないところを見ると、本当にバレストル発言があったのか疑問を感じてしまいます。このことも、バレストルのよくある評価と実態に乖離があるかも知れないと感じる部分です。

なお、当時(1980年代の中ごろ)は反アパルトヘイトの機運が高まっていた時期で、人種差別に対して世界が非常に敏感だったと記憶しています。公人が人種差別的な態度をとった場合には、その立場にとどまることはほとんど不可能なほどに非難を受けたでしょう。そしてバレストルはFISAの会長であると同時にFIAの会長でもありました。 

ターボ禁止が決まったのは日本でのF1全戦放送の始まる前のことで、その決定のいきさつを知る日本人はほとんど居なかったのだから、マスコミも好き放題にストーリーを作って語れたのでしょうね。「バレストル、悪い奴!ホンダつぶし!」みたいな。

20140423追記:

(引用)
Hondaはこのポップ・オフ・バルブ対策として吸気温度コントロールシステムを導入。使用していた特殊燃料の気化性に考慮し吸気温度を適温に制御することで燃料の充填効率を上げ、前年型のRA166Eよりもさらに高回転&高圧縮化に成功、予選仕様で1000馬力オーバーという途方もないスペックを絞り出した。Hondaの技術の前に目論見が外れたFIAは、翌88年を前にさらなる過給圧規制と燃料規制に乗り出すことになる。
- http://www.honda.co.jp/Racing/gallery/1987_2/01/

ホンダは自社のサイトで「1987年にホンダが圧勝したから1988年の規制が強化された」と主張しているんですね...(汗)。1988年以降のターボエンジンへの規制強化は1987年の結果を見て決めたわけではなく、すでに書いたとおり1986年の段階で決定していたことなのですけども。

ホンダ自らがこんなことを堂々と自社のWEBサイトに掲載していることも、一連のターボ規制の流れが「ホンダつぶし」だったと日本で広く信じられている一つの要因になっているんでしょうかね?
この記事に関しては「ターボエンジンの規制はホンダつぶし!」だと疑うことなく生きていた人が書いた可能性もあるので、卵が先か鶏が先かの話かも知れませんけど。
どうあれ、仮に社外に依頼した原稿であっても、掲載するにあたって、事実の正誤確認を行う責任はホンダにあるよなぁ、とは思います。

ホンダの自社サイトなのだから、ある出来事を当事者の一人(一社)として自らに都合の良いように解釈し記載することは理解できるけど、事実に反することを書いてはいけませんわなぁ...(汗。

20130501:
本文への若干の文言修正と追記